閣僚のちょっとした失言が大きな政治問題となる時代であるが、これは別に目新しいことではない。「ばかやろう」との首相の発言は、衆議院解散にまで発展した。最近でも厚生労働大臣の「女性は子どもを生む機械」との失言や、防衛庁長官の「原爆投下はしかたがなかった」との核戦争容認失言、さらには「人権メタボリックス」等など、枚挙に暇がない。閣僚だけにその発言力は、勘違いでは済まされないのは当然である。人権感覚や、平和意識や歴史認識を云々する以前に、私は活字文化の衰退を危惧している。コンプライアンスや倫理が問われる時代というよりも、こうした社会正義が欠如してきた根本原因には、古代のプラトンが指摘した国家論を出すまでもないが、政治に哲学が欠落していることがそもそもの問題であると考えている。政治家が国民の代弁者というなら、失言をした政治家を選んだのは国民自身であることも看過してはならない。他人任せの民主主義は真の民主主義ではない。失言政治家は、真摯に非を認め国民に謝罪できるすばやい対応と勇気を持たねばならない。今夏の参議院選挙は「日本の選択」を決める選挙でもある。猛スピードで駆け抜けるマスコミ報道や日々の政治事象に紛動されることなく確かな選択を望みたい。
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